『音楽』と共に移動するということ

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3月あたりから徐々に外出自粛要請が国から出された。

世間的にもテレワーク・在宅ワークの風潮が漂い始め、飲食店や映画館、拠り所であるライブハウスも閉店をせざるを得ない状況になってしまった。

もちろん自分も不要不急の外出は控えるようになった。24時間家にいるのは当たり前で、ゴミ捨てのために外出する以外は3日間玄関のドアを開けないなんてこともよくあった。

外出する、というよりも何かをする目的が無くなってしまうと自然と夜更かしに走ってしまい、生活におけるリズム隊は役目を果たさなくなっていた。

この生活の中で『音楽』は片隅に追いやられている。

家にこれだけ長く軟禁されている状態はあまりなかったが、ようやく初めてわかった。

『音楽』は外で聴いていた

ということに。

今までは外出し目的地に着くまでの間、耳からイヤホンを外すことはなかった。

家を出る前にまずすることは「今日の気分に合う曲を探すこと」であり、家を出てすることは「今日の気分に合う曲を再生すること」であった。

改札を通る間、駅で電車を待つ間、満員電車で知らない人と濃厚接触をする間、バスに揺られる間、田舎道を少し歩く間

目的地の15歩手前でイヤホンを外し雑にポケットにねじ込むまで、『音楽』は鳴り止まない。

いつも『音楽』と共に移動している。

それをこの外出自粛期間で酷く痛感した。

だからと言って、家で一切の音楽を聴いていないわけではない。

加入している「Amazon music unlimited」で音楽は聴きたい放題、YouTubeやInstagramでは毎晩誰かが生配信を行っているし、ありがたいことにこのタイミングでMVも過去のライブ映像も解禁しているアーティストの方もいて『音楽』はインターネット上に溢れかえっている。

ただ風景が変わらないことが非常に寂しいのだ。

住み慣れた家の中でパソコンのキーボードを叩きながら『音楽』を聴く、ゲームをしながら『音楽』を聴く、ライブハウスで演奏している様子を脂のついたスマホの画面上で見る。

そうするとどうしても『音楽』が耳だけで消費されてしまっているようでならない。

電車の窓から見える風景や知らない土地の匂い、ライブ終わりに食べるご飯

『音楽』を五感で消費するには、普段外で聴きなれている自分にとってこの自粛期間はどうしても無理だった。

ようやく緊急事態宣言が全国的に解除され、6月からは家から出ることが多くなる。

ライブハウスはまだ厳しい状態が続いているが、再開されればアーティストに会いに行きたい。

『音楽』と共に移動するということ

『音楽』共に移動するということ

それは自分にとって当たり前で最も大事に思うべきものである。

(文:つちへん)

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